寒いけれどうれしい日
仕事。
帰りごろ、風が猛烈に冷たく、ともかく寒い。
これはまずい寒さだと思い、スーパーにさえ寄らずに帰る。
昨年、羽衣の公演「よるべナイター」の際に、野球指導ですごくお世話になり、さらにゲスト出演までしていただいた、元ヤクルトスワローズの古田敦也さん、野球殿堂入り。
わかっていたけれど、やはり、すげえ人なのだなあと思う。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150123-00000001-wordleafs-base
野茂さんのお祝いスピーチ、いいなあ。
そのあとのそれを受けての古田さんのコメントも。
こういう敬意の示し方ができる関係性が。
野茂氏は「全日本の合宿で初めて会ったときに、明るいがキャッチャーで良かったと思った。守備力が高く、捕ってからが早く、キャッチングもうまい。こんな人がプロに行けないのかと驚いたけれど、次に驚いたのは、古田さんがプロで首位打者をとったこと。アマ時代には、金属バットでセーフティーバントしかしていなかった人が、2000本も打って名球界に入られた。本当に驚いた」とユーモアたっぷりにエピソードを語った。
ドラフトでは同期だが、3つ年上となる古田も苦笑い。
「野茂が来てくれて嬉しかった。逆に僕も、野茂に全日本合宿で初めて会ったときに150キロのストレートに凄いフォークを投げる野茂みたいな投手がアマにいるのか、プロとはどんなところなんだ?と驚いた。バント? 言われて思い出したけれど、していましたねえ。国際大会では、生き残るため日本が勝つためにそれくらい必死にやっていた」
野茂氏が伝えたかったのは、古田のプロへ入ってからの努力の跡だ。
そして、アマチュア時代の辛い思い出の話。
立命大時代にはドラフト候補とされてマスコミがたくさん集まった会場で指名を待ったが、ついに声はかからなかった。「恥ずかしい、つらい思い出。反骨心ではないが、若かったし、プロで活躍してやるんだ!という強い気持ちを持った」
さまざまを経て、さらに努力して、そうしてこういうことになっている。
簡単にまとめられる話ではないし、まとめてはいけないけれど、人柄も含めて、改めて、そっと憧れる。
おめでとうございます。