今日のひげ

FUKAIPRODUCE羽衣メンバー。俳優・高橋義和のブログです。現在はブログはほぼ休止中です。

三軒茶屋でリーディングを見る

酒を飲んでいて眠いですが、書きたいので書きます。今日はきっと長いです。


風が強くて寒い日だったけれど、渋谷から三軒茶屋までつらつらと歩く。国道246号線沿いはラーメン屋と高級車が多い気がしました。
東京出身の中の田舎者なのでアンナミラーズのトラックを見て山手だなあと思った。今更わざわざ行こうとも思わないし、今となっては別に行きたくない天竺のような存在。


で、三軒茶屋に着き、「ドラマリーディング 現代能楽集Ⅲ『鵺/NUE』」(シアタートラム)を見た。古典を現代の舞台に還元することを目指す企画だそうだ。その企画の上演に向けたリーディング公演。作・演出は宮沢章夫
自分の中であまり上手い事まとまっていないので上手に伝えることは出来ないだろうけれど、印象とか、そういうのを書いてみます。自分のためにも。


タイトルの通り、謡曲「鵺」を基というか、その印象から創作したのであろう台本を俳優達が読むという公演。
私はこの基のお話を知らないのだけれど、パンフレットによると、

旅の僧が、熊野を詣で京に戻る途次、ある土地で、殺され亡霊になってさまよう「鵺」に会う。「鵺」は僧に向かって、浮かびきれずにいる自分の妄執を弔ってほしいと願う。(中略)「鵺」は最後、舟に乗って川を流れてゆく

というようなお話だそうだ。流れていくまでの経過はこれでは分からないのだが、起と結はおおよそこういうことらしい。
「リーディング」と銘打っているのだけれど、大まかな動きはかなり付けられている。朗読劇のように座って台本を読むのだと思っていたのだけれど、俳優はかなり動く。リーディングの定義というのもあまりよく分からないが、これはこれでよいのだろうと。やはり大まかな動きだけの中では注目されるのはその「言葉」だったし。


宮沢氏は清水邦夫氏の台本を劇中劇として引用し、そこにかかれる言葉を現在(もしくは少し未来)の蜷川幸雄氏をモデルにしているのであろう「日本を代表する演出家」という登場人物にぶつけていく。そしてその演出家と共に昔芝居をしていた元俳優という人物、本当はそこに存在しない人間、「黒ずくめの男」を「鵺」とだぶらせる。
つまり、60年代、70年代前半の小劇場の言葉を現在では通用しない言葉、死にゆく言葉として描いているのだろうと。「全く伝わらない」という旨の台詞にもしてしまっていて、力尽きた「鵺」はラストに演出家に背負われて退場していく。
それは、感謝であり、追悼だったのか。ならばもっと短くしてそこの関係性に絞っても良いと思ったのだけれど。




だいぶ長くなってきたので今日はそろそろよします。中途半端なんですが、眠くなってきたので。
岡田利規であったりとかそういう新しい方法を感じてこういう台本を書いたのだろうか。もっと前からそういうことは考えていたのだろうけれど。宮沢章夫がここまで前に主張を押し出している台本は初めて見ました。そこが驚きで。
しかし、とても面白かった。500円でここまでのものが見られればそれはもう納得というか大満足でした。


長くなりましたが、今日はここまでで。またまとめて書ければあれしたいです。