今日のひげ

FUKAIPRODUCE羽衣メンバー。俳優・高橋義和のブログです。現在はブログはほぼ休止中です。

新国立劇場に行く

眠いので、とりあえずさっと。


新宿から初台まで歩いて、「新国立劇場 演劇2006/2007シーズン『エンジョイ』」(新国立劇場小劇場 THE LOFT)を見た。
作・演出は岡田利規で、主催は新国立劇場だけれども、実質はチェルフィッチュ公演。
久しぶりに、お芝居を見た帰りの電車でいろいろと考えた。分かった気がしたこともあり、分からないこともあり。面白かったのだけれど、どうもしっくりこなくて。でも何かを考えるきっかけを与えられる作品で。一度乗り換えるべき駅で電車を降り損ねた。


台詞というか戯曲、もしくはそのテーマが先行していて、身体がそこから大きく離れている印象を受けた。ただ身体がそこにたどり着いていなかったという意味ではなくて、戯曲の荒々しさ(雑だったということではなく、戯曲自体はとても丁寧なのだけれど、何というか荒々しい)にも原因があったのだろうと。チェルフィッチュの方法(動きと言葉を切り離すあれ)が成立する部分とはまた違う意味で、そういう乖離が。
いつもの音楽のように感じられる台詞のリズムもなく、どうも台詞の意味だけがしっかりと聞こえてきてしまう。それが駄目だっていうのも変な話なんだけど、チェルフィッチュにおいてはやっぱりそれでは違うだろうと。いや、そのテーマのみが強力に、直接頭と心に攻撃を加えてきてしまうのは、チェルフィッチュだからというよりも演劇として、ちょっと違うのかなと。
でも明らかにそれをあえてやっていたのだよなあ。今年あったフランスの暴動の映像を流したり、テーマそのものであるフリーター・非正規雇用社員について書かれた何とか(忘れた)白書を引用したり。
そこがどうもつながらなくて、何故なのかが分からないのです。まあ、後で考えよう。




岡田さんは「方法論をそれ以上引き寄せないように、それをいつまでも掴んでいないように、すぐに手放すように」と常々言っているので、その過渡期なのだろうか、今は。


そんな感じ。もっといろいろ思ったのだけれど、とても眠いのでまた明日とかそれ以降に気が付けば書き直します。




思い出した。どうでもいいことひとつ。
パンフレットで岡田利規さんと鷲田清一さんの対談があって、その写真の岡田さんは室内なのに帽子をかぶっている。前にNHKで見た岩松了さんとの対談の時にも、岡田さんは確か帽子をかぶっていた。しかし稽古場ではかぶっていない様子だ。
もしかしたらただねぐせを隠しているだけかもしれないしどうでもいいのだけれど、気になった。ヒップホップの人も帽子を脱がない人が多い。


ごめんなさい、寝ます。